人はその表現を、一生やめられないのかもしれない。

10年ほど前、慶應丸の内シティキャンパスに半年ほど通い、山田ズーニーさんの「伝わる・揺さぶる!文章を書く」というワークショップに通っていた。 参加してみると、文章術、というものではなくて、「『自分の本当』にアクセスする」こと、そしてそれを表現することを繰り返す日々だった。
私たち受講生が毎回内側から絞り出すそれを、いつもズーニーさんは「産婆さん」のように受けとめてくれた。
最終日。 ラストの課題を全員の前で一人ずつ発表する場面で、私は 「離婚することにしました」 と告白した。受講開始時は、そんな話はなかった。 執筆内容とは全く関係ない話だったのでクラスメイトは驚いた顔をしていたけれど、ズーニーさんはその大きな目にいつも以上の目ヂカラを込めて、うなづきながら私を真っ直ぐ見つめてくれた。 イスに座らず床にしゃがみ込んで、全員から生まれる表現を聴き、受けとめ続けるその姿は、まさに産婆さんだった。
その後も時折、ズーニーさんのつぶやきを読んでいるのだけど、今日のは泣けた。 人が表現することを、こんなにもこんなにも全力で、大切に思っているんだなぁ、あの時も今も、ずっとそうなんだなぁ、と。
「あなたの思うようにすればいいよ」
と言ってあげるのも優しさ。でも、
「やめたらいけん!」
と全力で止めるのも優しさだ。